Meet the crew 01
宇宙飛行士に限らずチームというのは、目標を掲げ、それに向けて協力し合うことが必要とされます。ですが、火星に向かうために集められた私たち4名は、育ってきた環境も、経歴も、持った想いも、あまりに違いました。私は彼らを理解することで、より優れたチームにし、より良い結果を出せるのではと考えました。
これは私が宇宙船での生活やインタビューの中から得た、彼らのデータベースです。
ですが、まずは私について触れておこうと思います。なぜならこれらは、私の目が見た彼らに過ぎないからです。
笠田大介。1997年札幌市出身。17歳の時に台湾縦断の一人旅をして以来、約10カ国を訪問。
様々な文化や環境の中で生きる人々を見て、人の暮らしに関心を持つ。大学で観光産業を学び、日本における民泊業とそこから生まれる暮らしを学ぶために現在休学中。
SHIRASE EXP. ではMS(ミッションスペシャリスト)の役割を担う。これはミッションにおいて、現場と管制をつなぐ役割です。約6分間のタイムラグが生じる火星では、現場主導でのミッションが求められます。
私がSHIRASE EXP.に参加したのには2つの目的があります。
一つは極限での暮らし。人はアフリカの原野に生まれてから、現在に至るまでその生息範囲を広げてきました。未開の地を拓き、人がいないところに人が暮らせるようになる。このことが、どれだけ動物的で素晴らしいことか。宇宙への関心があったわけではありません。私は宇宙という未知によって、このプロセスを学びたいと思ったのです。
二つ目は自分を知ること。モノが溢れ、情報が溢れた時代に生まれ、人は多くのものを持ち過ぎているのではないか。それらを極力捨てることで、私が必要としているものを見極めたいのです。この鉄の塊の中で自分が何に喜び、何を求めるのか。
私はこれらをSHIRASE EXP.なら得られるのではと感じました。
小さい頃からもっと遠くへ行きたいと願っていました。でもそれは物理的な距離ではなく、精神的な意味合いの強いものであったのだと感じながら、私は今もこの宇宙船に乗っています。
Meet the crew 02
我々はこの風変わりな実験に、無理やり連れて来られたわけではありません。手段や道のりは違ったが、自ら望んで来たのです。
21~43歳の男女で構成されるクルーは、日本人3人、インドネシア人1人の計4人です。16日間もの厳しい生活を過ごしたその先に、彼らは何を見てるのでしょうか。
高階美鈴。1997年埼玉県上尾市出身。白百合女子大学在籍中。中学生の時に読んだ本をきっかけにフランス地方菓子に興味を持ち、以降フランス留学をするなど、勉強を続けています。
パティシエを目指す彼女は、大学でフランス語の勉強をしながらフランス地方菓子の研究をしています。歴史的背景、人や暮らしとのつながりに関心があり、その過程として地方菓子をよく知るために、パティシエを目指しているのだそう。インタビュー中、終始目を輝かせながらフランス菓子の魅力を語ってくれたのが印象的でした。
そんな彼女がなぜ、このような実験に参加しようと思ったのでしょうか。
一つは何でも受け入れられる性格であるということ。さらに、目的があるということを話してくれました。
この実験において、彼女の関心は食事にあるといいます。地球から火星までの距離は遠く、最低でも3年は必要とされています。そのため宇宙船での食事は全てフリーズドライなどの加工食。彼女は普段自然食を扱っていますが、継続的なフリーズドライのような加工食が人体や暮らしに及ぼす影響を知りたいといいます。
SHIARSE EXP.での彼女の位置付けは、ジャーナリストです。船内で起きたことを船外に伝えるのが主な仕事ですが、宇宙船に乗るジャーナリストは物書きだけをするわけではありません。宇宙服を着て船外活動(EVA)をしたり、必要とあればあらゆる仕事をしなければなりません。
地球でのジャーナリストの経験はありませんが、毎日、われわれの生活を地球に届けています。彼女の言葉はわかりやすく、とても力強い。
インタビューの最後に、この実験が辛くないかと問うと、彼女は不自由はないと笑って答えてくれました。私はインタビュー中に所々感じられる、未知に対する積極的な姿勢に驚かされるばかりでした。
Meet the crew 03
宇宙船のクルーには6つの役割が必要とされています。コマンダー(隊長)、XO(副隊長)、HSO、ジャーナリスト、ミッションスペシャリスト、エンジニア。本実験はクルーが4名のため、2つの役割を兼任している者もいます。彼はその一人です。
村上祐資。極地建築家。1978年福岡県北九州市出身。大学で建築を専攻し、人が住む場所という観点から見た建築に関心を寄せる。南極、北極、エベレストなど、極地と呼ばれる場所でそこに”住む”人たちとの生活を続ける。「SHIRASE EXP.」を考案、プロデュースをし、自らも本実験「SHIRASE EXP.0」にクルーとして参加。
本実験では、XO(副隊長)とHSOを兼任。HSOとは、船員の安全管理をする役割で、船外活動(EVA)などの危険が伴うミッションにおいての責任者です。宇宙船では全ての行動に、普段以上の危険が伴うため、彼の仕事は多岐に渡ります。
私はインタビューを通じて、この実験を始めた意図が知りたかった。今回、実験の考案者としてSHIRASE EXP.の真意を聞くことができました。その僅か一端ですがここに記そうと思います。
話は彼が7歳の頃まで遡ります。当時アメリカに住んでいた彼は、スペースシャトルの打ち上げ事故を目の当たりにしました。スペースシャトルの事故であれば、そのクルーがどうなったかは想像に難くないでしょう。人々はクルーの死を悲しみ、彼らの功績を讃えました。しかし少年にとってその事実は、見方を変えると英雄譚へとねじ曲げられたようにも見えました。そして人はこうして殺されるのか、と思った。この出来事が彼にとって死の原体験となります。
人類が再び宇宙に目を向けている今日、誰でも宇宙にいける時代が間違いなく近づいています。そのため様々な模擬実験が行われていますが、人間の弱さという問題において課題は浮き彫りになりません。それに参加する彼らにとって弱さを見せることは、宇宙飛行士から遠ざかる行為だからです。
SHIRASE EXP.がフォーカスしている点は、そこで起きた「真実」を人類と共有することだといいます。我々がイメージする宇宙飛行士は強いという自惚れを捨て、人間の本質的な弱さや脆さ、しぶとさを含めた”暮らし”を明らかにする。その上で本当に必要な課題を洗い出し、共有することが必要とされているのです。
「建築という領域の中で、また宇宙で暮らすという領域の中で、このままでは人が死んでしまう」
彼は幼少期に見た死を、”人の暮らし”という領域においては防ごうとしているのでしょう。
そして彼はそれを一人でしようとは思っていないようです。私達のように彼のところに集まった人も含め、人類で”暮らし”を考え続ける。そのためにSHIRASE EXP.は、更に次のフェーズへと進みます。
Meet the crew 04
4名のクルーは、やがてそれぞれの暮らしへと戻っていく。民泊業、フランス地方菓子、建築、アート、それぞれが持つフィールドで、ここでの暮らしはどう活きていくでしょうか。それはまだわかりませんが、少なくとも私たちは、宇宙の視点で自分の暮らしを考え続けることができます。
そしてこのインタビューを通じて彼らを知れたことは、私にとって大きな財産となりました。それぞれの暮らしへの関心はどれも興味深く、未来を見ていた。
Venzha Christ(ヴェンザ・クリスト)アーティスト。1975年インドネシア出身。自身がディレクターを務めるISSS(Indonesia Space Science Society)や、HONF(Foundation-Laboratory for Art, Science, and technology)などに身を置き、世界中で宇宙やUFOをテーマとした様々な芸術活動や実験などを続けている。日本でも活動をし、茨城県に自身のミュージアム「Utsuro-Bune mini museum」をもつ。
彼はこれまで約10年間、アーティストとして音楽や、宇宙に関わる作品などを作りながら、世界中の様々な宇宙実験に携わってきました。中でも最も関心を寄せているのがUFOで、様々な国のUFOと思われる伝説を研究しています。日本に古くから伝わる伝説「Utsuro-Bune」もその一つだそう。更に、彼の家の屋根には、巨大なUFOが付いているというので、その関心は半端ではないようです。
本実験ではコマンダー(隊長)とエンジニアを兼任し、宇宙船の中では最も決定権の強い人物です。緊急事の判断や、チームの進む道は最終的に彼に委ねられます。
また、エンジニアとしての能力を生かして、閉鎖空間の厳しい生活を少しでも暮らしやすくする工夫をしてくれます。
この実験に参加した理由について、彼はこう答えてくれました。
「私のミッションは、未来のスペースサイエンス(宇宙科学)やスペースエクスプロレーション(宇宙探査)という領域で、社会に役立つものを作ることである。だから私には、様々な場所でシミュレーションや実験をし続ける必要がある。」
宇宙から我々の生きる世界をよく見ることで、本来そこにあるが無視され続けているものの存在を見つけることができる。そういうものに価値がある。そんな想いから彼は、楽器を使わず、本来の状態でそこにある環境音から音楽を作る。
ミッションスペシャリスト 笠田大介